#5 弱虫で泣き虫の僕が福祉のジョブズを目指すまで〜人生はわからない〜

その他

皆さんこんにちは!
合同会社Sunflowerの代表社員を務めています、鴇田陽介です!

毎週恒例noteの更新です!
今日は僕自身のことについて書きました。

僕は小学生〜中学生までいじめられっ子でした。
毎日が辛くて、日々を生きている事に絶望していました。
そんな僕が、今は福祉の仕事をして、誰かを幸せにしようと頑張っています。
そんな今に至るまでの人生を簡単に書いてみたいと思います!

1:暗黒の小学生期〜中学生期

最初っから少しだけ暗い話になってしまいます。

僕は幼少期を思い出そうとしても、少し思い出せない事が多んです。
誤解なきように、特に家庭環境が悪かったとかそんなことはないです。

僕が辛かったのは、「家」以外の場所です。
特に小学校入学後が辛かった。
周りの友達が当たり前にできることが僕にはできませんでした。

①難しいコミュニケーション

例えば給食を食べたあとの昼休み。
多くの友達はグランドでドッチボールをしたり、サッカーをしたり。
割とおとなしめな子は図書室で本を読んだり。
それぞれが、自分のしたいことをしますよね?
僕にはこれがまず難しかったんです…。

だいたい遊びに行く前に「〇〇君、一緒にドッチボールしようぜ!」のように声をかけると思うのですが、これが怖かったんです。

本当に遊びたくて声をかけてくれているのか?
気を使って声をかけてくれているのか?
相手の気持ちがわからなかったんです…。

なので、休み時間が始まると誰よりも早く教室を飛び出し、真っ青な顔で図書室にたどり着き、一番隅っこのスペースでみんなに背中を向けてずっと本を読んでました。

これは一例ですが、こんなことが学校や外にいる時間、いつも起きてるんです。
こんなことが続き、僕はすっかり笑わない子になっていました。

②そのうち始まったイジメ

そんなコミュニケーションを取っていたからでしょうか?
僕は小学校3年生位からイジメられるようになりました。

靴を隠されたり、ラクガキをされたり。
世の中で言われてるイジメの内容は大体されたと思います。

正直、真っ暗でした。
毎日学校に行くことが苦痛で、「なんで生きてるんだろう…?」とも考えてる日々でした…。

イジメは中学1年位まで続きました。
なくなったきっかけはあまり覚えていないんですが、仲良くなった友人がかなりヤンキー君だったこと、学校の先生が動いてくれたことがきっかけだったと覚えています。

2:僕が笑えるようになった理由

小中と真っ暗な毎日を生きてきましたが、僕の人生は今幸せです。
自分のやりたい仕事をやって、僕の特性に理解のある妻と、すっごく似た特性のある子どもたちと、コントみたいな日常を楽しく生きています。

時が経ち、自分の人生を振り返ってみた時、僕が笑えるようになった理由はなんだろうと考えてみると3つのことが思いつきます。

①家族が絶対の味方だった!

第一に、僕が外でどんな状態だったとしても、家族が絶対に味方でいてくれたことが大きかったと思います。

学校に行きたくない時、僕が我慢できずに喧嘩した時、学校でトラブルを起こした時、どんな時でも僕の味方でいてくれました。

どれだけ外で辛かった時でも、家に帰れば味方でいてくれる人がいるということは、僕の心の支えでした。
このことは、今でも心から感謝しています。

②夢中になれるものがあった!

僕は小学3年生から合気道を、小学5年生から野球をやっていました。
合気道は地元の道場で、野球は小学生の頃に地域のチームで、中学進学後は学校の部活で頑張っていました。
どちらも僕の心の支えで、特に野球に関しては辛い学校生活の中で、唯一の楽しみにできる時間でした。

中学までは弱小校でしたが、高校では公立の中ではかなり強い部類の学校に進学し、野球漬けの毎日を送っていました。

辛い毎日の中でも、何かしら夢中になれるものがあると、それは心の支えになります。
周りの雑事がどうでも良くなるんですね。

また、この経験を通して、「なにかに夢中になれる力」も身につけることができたと今では思います。

③憧れる大人たちがいた!

何より最大の要因が「憧れる大人たちがいた」と言うことだと思います。
僕が幸運だったことの一つに、常に素晴らしい大人たちが周りに多かったということです。

家族はもちろん、合気道の師匠や学校の各担任、部活の顧問などなど、どの大人たちも僕に真正面から向き合ってくれていました。

僕の訴えをきちんと受け止め、考えを否定せず、全力でどうにかしようと動いてくれました。
どの方々にも感謝しかありません。
本当にあのときの周りの大人達には、感謝しかありません。

感謝と同時に、あこがれを抱きました。
「いつか、僕も大人になった時、あんな大人になりたい」
僕が今の仕事をしている原点かもしれません。

3:誰かのためになる仕事

僕がまともに笑えるようになったのは高校進学後〜短大在学中だったと思います。
あれから、僕の人生は好転しました。

高校3年生になり進学先を選ぶ時、僕は全く迷いませんでした。

「誰かのためになる仕事をしたい」
→福祉の仕事いいじゃん!
「どうせなら、自分が好きなもののために、一生を使いたい」
→僕は子どもが好きだ!
「あの時憧れた大人たちと同じような大人になりたい」
→早く社会に出たい!

そんな考え方から、僕は保育士の資格が取れる専門短大に進学しました。
進学後2年間で保育士資格を取り、20歳から児童養護の仕事に従事し、その後転職、発達障害の子の支援を行うベンチャー企業へ、5年で独立し、現在に至ります。

4:子どもたちが”ありがとう”といってくれる未来を創る!

今僕は、「合同会社Sunflower」という会社を運営しています。
「子どもたちが”ありがとう”といってくれる未来を創る!」というVISIONの元、日々の企業活動を行っています。

このVISIONを掲げ、今の仕事をしている原点は…

  • 小学生の頃に見た大人の姿に憧れたこと。
  • あの頃の自分のような子どもたちを一人でも少なくしたいこと。
  • 笑顔をなくした子どもたちが、子どもたちが笑顔で生きられる未来を創り渡すこと。

と、ここが自分の考え方のオリジン何だろーなーと、今日のブログを書いていて、改めて感じました。

5:まとめ

最後までご覧頂きましてありがとうございました!
僕は今35才になりました。
幼少期からすでに20年以上の時が経ちました。
今はとても幸せな人生を送っているし、地元も離れたので、あの頃の同級生に会うことはありません。
人生とはわからないものです。

ブログの最後に、敬愛するチャーリー・チャップリンの名言を残して筆を置きたいと思います。
「人生はクローズアップで見れば悲劇だが、ロングショットで見れば喜劇だ。」

6:おまけ

弊社ではオンラインサロンを運営しています!
多くの方々が集まり、知識知恵を出し合い、子どもたちの未来を創っていくオンラインサロン。
それが未来ラクガキ書店です!

下記のURLより会員登録ができますので、ぜひご参加下さい!
https://yoor.jp/door/yousuke_rakugaki

最後までご覧いただいてありがとうございました!
今後も発信していきますので、ぜひ、フォローよろしくお願いします!

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